【勉強をする理由①】「環境」と「仲間」を得るための手段

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今から10年ほど前、このサイトとは別に作成していた受験情報ウェブサイトで、勉強をする理由についていくつか書いていました。

その一つに、「勉強をして高校・大学へ行くのは、自分の力を最大限に活かせる仲間と出会うためでもある」というものです。

この言葉の意図は、単なる学歴至上主義やブランド志向とは一線を画します。

私が考える進路選択の真価は、卒業証書や就職先のネームバリューにあるのではなく、その過程で子どもが出会う「環境」と、共に学び、切磋琢磨する「仲間」にあると思っています。

形骸化する入試制度と「自律的な選択」の意義

現在、少子化や授業料無償化(福岡は2014年ころから実質無償化になる世帯もありました)の影響もあり、選抜機能が十分に働かない公立高校や大学が増加しています。

この状況は、子どもたちが意識的に進路を選ぶ機会を失い、結果として将来の選択肢を無自覚のうちに狭めかねません。

子どもの将来の可能性を最大限に広げたいと願う場合、進路選択の有効な基準として、以下の「高い学習意欲と明確な目標を持つ者が集まる環境」を考慮することが重要になります。

  • 公立トップ校: 地域で最も高い学習意欲と学力を持った生徒が切磋琢磨する場として機能している。
  • 私立高校の特進クラス: 明確な目標設定と高いモチベーションを持った同級生という、目的意識が明確な環境。
  • 専門学科(工業・農業・商業など): 特定分野に深い興味を持ち、実践的なスキルと独自のネットワークを構築できる環境。

これらの選択が重要となるのは、単に「偏差値」が高いためではありません。

「同じ志や学習意欲を持った仲間」が集まるので、必然的に学びや成長を重視する環境が形成されます。

その結果、「努力すること」や「目標を持つこと」が、集団の当たり前のルールとなり、子どもたちはその良い影響を強く受けながら成長できるようになります。

大学進学の価値は「環境の規範力」にある

大学入試においても、多様な入試制度の拡大により、選抜機能の働き方が変化しています。

親としてわが子に進学を勧める際、「とにかくどこでもいいから」という姿勢は、環境の質という観点から再考が必要です。

大学進学の大きなメリットの一つは、周囲の「当たり前」の基準を上げることです。

  • 選抜が緩やかな環境:「授業に出ない」「とりあえず卒業する」が集団の規範となるリスクが高まる。目的意識の低い集団に流されやすい。
  • 一定の選抜を経た環境:「学ぶ習慣」「目標を持つこと」「自ら問いを立てること」が集団の規範として存在する可能性が高い。

この「選抜」の有無、あるいは選抜基準の高さが、「類は友を呼ぶ」の基準となる環境の規範力を維持する重要な要素となります。

選抜が適切に機能している環境では、多様なバックグラウンドを持ちつつも、「勉強や探究に前向きに取り組む」という共通の価値観を持つ学生と出会える可能性が高まります。

知性と才能を育む、進路選択の柔軟性

もし目指せるのであれば、国立大学への進学は、依然として最良の選択肢の一つだと私は思っています。

純粋な学力と志で選抜された、探究心と論理的思考力に富む学生が集まる場だからです。

一方で、親は子の進路に対して、一つ柔軟な視点を持つ必要があります。

私は、中学生に対して「もし本当に興味があり、明確なビジョンがあるのなら、高校生のときに起業してみなさい」と伝えています。

本当に賢いというのは、学問や学校という枠組みの中でしか測れない「優秀さ」に留まる必要はありません。

学校の外で社会の課題を自らの手で解決しようと行動する力、リスクを負って挑戦する意欲、そして他者を巻き込むリーダーシップ。

これらは、座学だけでは身につかない、真の「賢さ」の証明となるからです。

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