コスパを考えて行動をする=無駄(と思えるもの)を排除して行動する
という定義とする
言葉だけを見ると一見効率的に何かができるようになるが本当にそうだろうか?
身近な例で考えると
動画の再生スピード。
これは自分も早くする。内容によってことなるが1.5倍~2倍にしてみる。
では映画・アニメなどを早く見るかと言えば、自分はしない。
倍速にすることで内容が入ってこないということもあるが、元のスピードで見なければ微妙な表情の変化や、言葉にされない感情の機微などが捉えられなくなるし、沈黙や静止した映像が持つ意味や緊張感、余韻、抽象的な表現に変えると「間」になるが、それが失われるので、作品を楽しめなくなるからだ。それってむしろ時間を無駄にしているだけ。
音楽で考えれば分かりやすいと思う。
コスパが大事だからといって音楽を倍速で聞く人はいないと思うが、なぜそうしないのか?
中身のない動画や情報を表面的に入手するためだけに倍速にするのは時短でよいかもしれないが
作品を楽しむ場合はコスパを考えたらかえって無駄が生じるかもしれないということは考えていたほうがいい。
それに、コスパばかりを考えていたら、窮屈になりすぎて、ボーッとする時間までコスパ・コスパといって無くしてしまうと
精神的に疲れてしまうことが多くなると思う。
以下は勉強についてのことになるが
コスパを重視して自分で考える過程を省いてしまうと、一度聞いて理解できる子ならそれでもいいが、そういう子は例外的にしかいなく
私が解いたら1分もかからない問題を30分かけて考えるということも場合によっては重要。
ここで、追加で書いていないと「そんなことをするよりさっさと答え見たほうが早く理解できる」という批判が来るだろうからあらかじめ書いておくが
時間をかけて悩むというのはあくまでも場合によってで、どう思考しても問題の意味すら分からないという場合に悩むのは時間の無駄でしかない。
解けそうだけど解けない、こうやって考えれば答えが出るかもしれない
という状況なら時間をかけたほうがいいと言っている。
小学校のときに割合や速さについて、「きはじ(みはじ)」を使わずに考えることが重要(ただし、発達状況によっては思考そのものができない場合もあるのでそこは状況判断が必要)。
中学では中学1年で習う英語・数学の理解は絶対に必要で、理解できないまま先に進んでしまうと、中にはずっと英語・数学ができない状況が続くことも考えられる。
たとえば、数学では「ノートを何人かの生徒に分けるのに、1人に5冊ずつ分けると10冊余り、1人に6冊ずつ分けると5冊足りない。生徒の人数とノートの冊数を求めよ。」なんていう問題は、ノーヒントでも1・2分で解けてしまう子もいれば、かなり基本的な部分から時間をかけて説明をしても理解ができない子もいるわけです。
後者の場合はコスパ重視で、ほぼ同じ問題を数字を変えて解いてもらい「ほらこういうパターンで式を作れば答えが出るよ」なんて教えたところで、何も身につかないんです。
うちの塾では、子どもたちに考えさせる指導をしていますし、「なぜそうなるの?」と自分の言葉で説明させているのですが、コスパ重視で大量に問題だけを解かせるより、1問しかできなくても、理解ができなかったとしても、答えが出せなかったとしても、それを非効率で無駄だなんて考え方をしていません。
