これまで書いた勉強をする理由①~③は、勉強をすることのプラス面について書いてきました。
しかし今回は、少し視点を変えてみたいと思います。
それは成績の良し悪しという評価ではなく、「勉強を通して、自分に何ができて何ができないかをはっきりさせる」という、自己理解の大切さについてです。
目次
「できる」「できない」には個人差がある
まず初めに、作家の乙武洋匡さんが2026年3月にSNSで発言していたことを紹介します。
【学習障害】両手両足のない私に、「鉄棒で逆上がりをやれ」という教師はいないですよね。そして鉄棒ができなくても、「サボっている」「努力が足りない」とは言われません。… pic.twitter.com/78ztwmk9ID
— 乙武洋匡 (@h_ototake) March 15, 2026
要約すると、
目に見える障害がある人には無理強いをせず、できなくても「努力不足」とは言われない。一方で勉強などの目に見えない「特性」は、本人なりに練習を重ねてもできないことがあるにもかかわらず、その背景が理解されず「やる気の問題」と片付けられがち。大切なのはまず「何ができないか」を正しく把握し、その特性に合った環境や道具を選ぶこと。
となります。
人間には誰しも、情報の受け取り方や処理の仕方に得意・不得意があります。
これを「認知特性」と呼びますが、どれだけ努力を重ねても、多くの人が当たり前のようにできていることが、どうしてもできない場合があるのです。
こうした「どうしてもできない」の背景には、外見からは決して分からない、脳の仕組みによる避けられない違いが隠れていることがあります。
例えば、学習や生活に具体的なサポートを必要とする「軽度知的障害」、あるいは診断の有無にかかわらず、公的な支援や理解が届きにくい『はざま』で苦しんでいる状態である「境界知能」。
さらには、知的な遅れはないのに「読む・書く・計算する」といった特定の学習だけが極端に困難な「学習障害(LD/SLD)」などです。
しかし、これらは外見から判断しにくいために、周囲も本人も「単なる苦手」や「本人のやる気の問題」と思い込んでしまい、本当の理由に気づきにくいのが現実です。
2005年の「発達障害者支援法」施行から20年以上が経ち、支援を受ける子は増えましたが、今なお適切なサポートが届いていない場合が相当数あると考えられます。
支援が必要な可能性が高いのに、そこから目を背けてしまうことで一番困るのは本人です。
特性に無自覚なまま社会に出ると、
- マニュアルの複雑な指示が理解できない
- 複数のタスクを並行して処理できずパニックになる
- メモを取っている間に話を聞き逃す
といった実務上の困難に直面するリスクがあります。
「周りと同じように振る舞えない」という現実に突き当たってから環境を整えようとしても、手遅れになってしまうかもしれません。
すでに「仕事ができない自分」に絶望して自信を失ってしまい、再起するための気力さえ削がれている可能性があるからです。
自分の特性に気づくことの重要性
認知特性は勉強に限らず様々な場面で見られるものですが、私が「勉強」という面に注目してお伝えしたいのには明確な理由があります。
現代社会の仕組みの多くは、読み・書き・計算といった勉強の力を土台にして動いています。
つまり、社会生活において「勉強ができるかどうか」は、自分の立ち位置を決める大きな要素になっているのです。
先ほど挙げたような実務上の困難も、実はこうした基礎的な学習特性と深く関わっています。
だからこそ、自分が「勉強という形での努力が実を結ぶタイプ」なのか、それとも別の道で勝負すべきタイプなのかを中学卒業前に知っておくことは、将来の自分を守るために重要なのです。
しかし、もし一度も本気で勉強に向き合わないまま過ごしてしまうと、できない原因が「ただサボっているだけ」なのか、それとも「努力だけではどうにもならない特性があるのか」を判別することができません。
この「判別できない」ことの危うさを痛感したのは、私自身が塾で、「努力を重ねてもどうしても結果が出ない子がいる」という現実に直面し、葛藤し続けてきたからです。
「なぜ、人によってこれほどまで『できること』と『できないこと』の差があるのか? 私の教え方が下手だから理解させられないのか? できないというのは私の思い込みで、本当はもっとやれるのではないか?」
そんな拭いきれない疑問の中で、私は自らの指導のあり方に限界を感じていました。
こうした葛藤を抱える中で、「頑張れ」や「やる気がない」といった根拠のない言葉で生徒を追い詰めたくないという一心から大学へ入り直し、発達心理学や精神保健福祉を専門的に学びました。
そこで脳の仕組みや認知機能の個人差、そして先ほど挙げたような塾業界で見落とされがちな特性などの実態を学んだからこそ、親御さんに本音で伝えたいことがあります。
それは、「小中学生のうちに一度も本気で努力をしないまま過ごすのは、リスクが高い」ということです。
なぜなら、一度本気で物事に向き合って初めて、自分自身の本当の姿や、どうしても超えられない「自分の限界」がはっきりと見えてくるからです。
「自分の強み」が活きる場所を早く見つけるために
もし中学のうちに必死に努力をして、「自分はどれだけやっても座学には向いていない」「書くことだけがどうしても苦手だ」と早めに気づくことができれば、それは進路を選ぶときの大切な判断材料になります。
例えば、中学までと同じように普通科で勉強を続けていては、自信を失うだけになりかねない子が確実にいます。
そうした子が自分の特性を正しく理解し、専門学科(工業・商業・農業など)や個別最適化をうたう通信制高校などを選択することで、本来の力を発揮できる場合もあるはずです。
苦手な学校の勉強を無理に続けるのではなく、本人の強みが活きる「学びの形」「学ぶ内容」を見極めることは、自信を守り、自立への意欲を引き出す重要な一歩となります。
ただし、家庭内だけで「努力不足か、特性か」を判断するのは非常に難しいのが現実です。
もし本人が努力しているのに全く結果が伴わない場合は、専門家に相談することも検討してください。
客観的な検査を受けることは、個に合った環境を見つけるための助けになるはずです。
自分に合った「戦い方」を選び取るために
中学時代に毎日机に向かっても結果が出なかった場合、その事実は決して無駄ではありません。
それは、将来の「自分に合った場所」を見極めるための大切なヒントになります。
「自分はどの土俵なら無理なく力を発揮できるのか」を知ることは、大人になってからの生き方を左右します。
例えば、一律のペーパーテストでは評価されにくくても、実技や独創性が重視される場であれば、驚くような成果を出す子もいるはずです。
大切なのは、自分に合わない方法で消耗し続けるのを「努力」と呼ばないことです。
自分の持ち味を活かせる「戦い方」や「場所」へ、戦略的に切り替えていくことは決して逃げではありません。
それは、将来の自分を潰さないための、前向きな「決断」です。
勉強は単に良い点数を取るためだけにするのものではありません。
本気で向き合うことで、「自分はどんな方法なら、無理なく社会で勝負できるのか」を確かめるためにもなります。
努力の結果を単なる「点数」という数字だけで片付けず、本人が自分の得意・不得意を正しく理解し、自分に合った道を選び取るための「手がかり」として活用してください。
中学時代の試行錯誤を通して自分の特性を知っておくことは、将来、社会に出たときに自分自身を助ける大きな力になるはずです。
