レイズでは入塾を希望されるすべての子に対し、心の成長を一番に願い、歩幅を合わせながら、精一杯のサポートを尽くしています。
しかし、学習塾に対して親御さんが抱く最大の期待が『成績向上』である以上、指導で解決できることの『限界』についても事前にお伝えしておくことが、責任あるあり方だと考えています。
「初めから筑紫丘を目指す子はうちの塾を勧めない」ということを「小学生Q&A」で書いていますが、それは可能性を否定するためではなく、「子どもの大切な時間を、最も価値のある形で使ってもらうため」です。
入塾を検討されている方は、ぜひ私の考えをご一読ください。
目次
発達スピードは人によって異なる
10歳から13歳頃までは、論理的思考を司る『前頭前野』の発達や、情報を一時的に保持して処理する『ワーキングメモリ』の容量に、大きな個人差があるといわれています。
実際、塾での指導を通じて、説明がスッと入って点と点が繋がる子と、今はまだ情報の整理が追いつかずに立ち止まってしまう子の差を肌で感じることがあります。
しかし、中学1年の1学期ころまではどれほど説明してもピンとこなかった内容が、中学3年になるころには当たり前のようにできるようになっていることは珍しくありません。
本来であれば、このように「時期を待つことで花開く可能性」を大切に見守るべきなのですが、無理な目標を立ててしまうと、大きな弊害が生まれてしまうかもしれません。
例えば、本人の発達が追いついていない時期に、無理やり「筑紫丘合格」のような高い壁を目指して知識を詰め込もうとすればどうなるでしょうか。
理解が追いつかない時期に無理に知識を詰め込もうとすれば、本人は「とりあえず丸暗記をしてその場を凌ぐ」という方法を選ばざるを得なくなる傾向があります。
この「思考を止めて暗記に頼る癖」が一度ついてしまうと、本来なら後から伸びるはずだった「自分の頭で考える力」の成長を、かえって妨げてしまう恐れがあるのです。
だからこそレイズでは、小学生のうちは公立小学校の学習内容を確実にこなすレベルにとどめ、今の土台で無理なく積み上げられる「必要十分な暗記」と「思考力の訓練」を重視しています。
発達スピードが原因でない場合
勉強の本質は、教わった内容を自分の頭で整理し、一つずつ積み上げていくことにあります。しかし、情報の受け取り方は人によってさまざまです。耳で聞く情報を整理するのが苦手な子もいれば、文字を読んで意味を捉えるまでに時間がかかる子、あるいは一度に扱える情報の量が限られている子もいます。
こうした個々の特性がある反面、学校や塾の授業は多くの場合「一定のスピード」で進んでいくため、情報の処理の進め方と、集団授業で求められる学習スピードが噛み合わなくなる場面が出てきます。このような「学習の行き詰まり」が見られるとき、その背景には大きく分けて二つの異なる状況が考えられます。
まず一つは、読み書きや計算の「やり方」を工夫することで、本来持っている理解力を発揮し、学習を進められるケースです。この場合は、適切な学習法を取り入れることで、本来の理解力を発揮しながら、自信を持って学習を深めていく道が見えてきます。
それとは別に、もう一つの状況として、本人が無理なく受け止められる情報の複雑さに対して、扱う学習内容が当人にとってあまりに抽象的すぎて、教え方をどれほど変えても思考が追いつくのが難しいというケースがあります。
もし、成長を待つ時期を過ぎ、学習環境や方法を丁寧に整えても基礎から先へ進めない状態が続くのであれば、それは『やり方』の問題だけではないのかもしれません。
内容の抽象度や進度が、本人が今無理なく吸収できる範囲を大きく上回ってしまい、努力だけでは埋めがたい『乖離』が生じている可能性に目を向ける必要があります。
学習状況と向き合い「強み」を見つける
現在の学習内容と本人の理解の進め方がうまく噛み合わないまま、無理に成果を求め続けてしまうことは、本人を深い無力感に追い込んでしまう原因になりかねません。
「やればできる」という前向きな励ましでさえも、どうしても届かない高い壁を前にしているときには、期待に応えられない自分を責め続ける材料になってしまう恐れがあります。
このような状況で無理に高い壁を登らせようとすれば、本人はただただ自信を失うばかりであり、心を守ることを最優先にした選択肢を親子で検討してみる時期なのかもしれません。
もちろん、人によっては学習の成果が目に見えて現れる時期が、高校卒業以降ということもあるかもしれません。
しかし、中学時代に150センチだった身長が、高校の3年間で30センチも急伸する例が稀であるのと同様に、学習面においても、ある時期を境に処理能力が劇的に向上するケースは現実的には多くありません。
特に高校では学習内容がさらに抽象化するため、基礎で苦しんでいた状況が自然に解消されることを期待して判断を先延ばしにすることは、本人にとってかえって酷な結果を招く恐れがあります。
だからこそ、高校に入ってからの逆転を期待して判断を先延ばしにするのではなく、高校の進路選択を控えた段階で、本人が無理なく力を発揮できる形を冷静に見極めておくことが何よりも重要になります。
仮に、今のやり方の延長線上では学習の定着が難しい可能性が高いと判断せざるを得ない場合には、これまでの学習の枠組みに固執しすぎない勇気も必要です。
合格という目先の目標に固執して自尊心を失わせてしまう前に、本人の得意を伸ばし、社会に直結する学びや経験にその貴重な時間を充てようとする姿勢は、本人の未来を本当の意味で守るための大切な選択肢の一つとなります。
受験のための勉強に追われ続ける日々から一度距離を置き、「将来、社会で生きていくために何が必要なのか」という本質的な問いをご家族で共有することが、結果として本人の人生をより豊かに彩る第一歩になるかもしれません。
私は学習指導のプロとして、本人の状況に合わせたアプローチを尽くし、結果を出す責任があると考えています。
しかし、勉強は人生の一部に過ぎず、そこで「自分はダメだ」という感覚が根付いてしまえば、その後の人生全体に影を落としかねません。
勉強という枠組みを超えて、本人が「これなら自分らしく輝ける」と思える場所を親子で共に見つけ出し、その新しい一歩をご家族で踏み出すための対話を重ねていくことが、何よりも大切だと考えています。
