「現代文は正しく学べば絶対に安定して点数が取れるようになる」と国語講師の多くは言いますが、

私はいまだにそれを信じることができず「努力が必ずしも報われるとは限らない科目」と思っています。

しかし、そうであっても現代文の勉強はすべての科目の中で一番重要だとも思っています。

努力が成果に繋がらない科目

国語(現代文)は英語・社会・理科のような暗記科目と異なり「これを覚えたら点が取れる」ということはありません

ゆえに「国語など勉強をしてもしなくても結果は変わらない」と思い

  • 時間配分
  • 問題を解く順序
  • 選択肢から読む
  • 自分で考えて書く記述問題は捨てる
  • 文法問題は配点が低いから捨てる

といった自分のルールを決めたり作文対策をするくらいはするものの、本気で学ぼうとする中高生は多くないはずです。

実際に福岡県の公立高校入試ならば

国語が苦手な子がある程度時間を費やして読解訓練や文法の暗記をしても点数が伸びることはほとんどないですが、上に書いたことを意識して対策を行うだけで平均点を下回ることはなくなります。

一方、得意な子であれば塾や学校の授業を聞いているだけで50点前後を取れてしまうことも珍しくありません。

このような状況を考えると、国語に対して「勉強する必要性を感じない」という感覚を持つのは無理もないことです。

しかし、国語の勉強をまったくしないのはもったいなさすぎます。

興味関心の幅が広がる

私(塾長)はこれまで、ある程度の読書習慣があったため、本の内容が全く頭に入ってこないというこはありませんでした。

しかし、苫野一徳先生の著書【どのような教育が「よい」教育か】を初めて読んだときは愕然としました。

ほとんど内容を理解できなかったんです。

その原因は「苫野一徳」に書いていますが、簡単に書くと、この本を読むために必要な基本知識、つまり「哲学」のことを全く知らなかったからです。

この本を読めるようになるには哲学について知らなければならないと思い哲学の本を読み始めたのですが、そこから数学・科学・倫理・言語・宗教と様々なことに関心が向くようになっていきました。

1冊の本がきっかけになり知識欲が湧き、数珠つなぎのように様々なことが気になっていたんです。

人間の脳って不思議なもので自分の興味関心が動機になっていたら、人から言われなくても自分の意志でいろいろなことを知りたくなっていくものなんですね。

 

ここからさらに、文章を読める人たちがどうやって本を読んでいるのかが気になり、たどり着いたのが現代文でした。

国語の重要性はなんとなくわかっていたものの、恥ずかしながら、それまで表面的にしか現代文の勉強をしたことがなかったのですが

改めて現代文(小論文)の参考書を読んでみる驚きです。

現代文(小論文)では様々なテーマが取り上げられているので、単に問題を解くだけでなく、これからの世界を生きる若い世代の子たちが自ら思考するために役立つ知識を手に入れられるものだったんです。

ざっと列挙していくと

情報化社会と人間関係 SNSの影響 フェイクニュース、 個人情報の問題 デジタルデトックス
グローバル化と異文化理解 多文化共生 ナショナリズム 国際紛争 難民問題
環境問題と持続可能性 地球温暖化 生物多様性の喪失 エネルギー問題 循環型社会
科学技術の進展と倫理 AI(人工知能)と人間の役割 遺伝子操作 生命倫理 ロボット社会
少子高齢化と社会保障 年金問題 介護 医療 世代間格差
格差社会と貧困 経済格差 教育格差 機会の不平等
ジェンダーと多様性 男女共同参画 LGBTQ+ インクルーシブ社会
自己と他者 アイデンティティ 孤独 共感 承認欲求
幸福とは何か 物質的豊かさと精神的充足 幸福の定義 生きがい
生と死 死生観 延命治療 尊厳死 喪失と再生
自由と責任 自己決定 社会の規範 倫理的選択 罪と罰
時間と空間 過去と未来 記憶 故郷 移動と定住
近代とポストモダン 近代主義の功罪 ポストモダニズムの思想 脱構築
言葉と意味 言語の相対性 言葉の力 表現の自由 コミュニケーションの限界
芸術と表現 美の価値 芸術の役割 創造性 鑑賞の多様性
歴史の解釈 歴史の多義性 過去と現在 記憶の継承

こういった知識が得られます。

受験のために現代文を超えて学ぶことで、自分で物事を深く思考できるようになるための「道具」を得れるわけです。

これらの知識は、思考の道具としてだけでなく自分の価値観を把握し視野を広げいろいろなことを考えるきっかけにもなります。

こう考えると現代文・小論文の勉強は重要だと多くの人が思うのではないでしょうか?

子供たちに本を読ませる方法

小池陽慈

受験勉強としてだけではなく「思考の道具を手に入れる」「視野を広げる」手段として現代文・小論文を学ぼうとするなら小池陽慈先生の著書をお勧めします。

小池先生は受験のための受験勉強としての国語を超えて、「なぜ人間は学ぶのか、いかにして学ぶのか」を示してくれる講師です。

要約・意味調べノートも小池先生の本を読んでうちの塾の小学生の授業で取り入れるようになりました(中学になったら忙しくなるので、要約のやり方は小学生のうちにある程度身につけておくことを勧めます)。

小池陽慈の著書

小池先生を私がお勧めするのは、受験参考書以外の著書がたくさんあるという点も関係しています。

予備校講師である先生が一般書を出すのは珍しいと思いますが、小池先生が参考書ではなく一般書を出している理由の1つに「受験のためだけに国語の勉強をするのはもったいないよ」ということを伝えたいといったこともあるはずです。

 

“深読み”の技法: 世界と自分に近づくための14章】は問題の解き方ではなく「文章の読み方」に焦点を当てて書かれてあるので、受験勉強としての国語を超えて学びたい人に有用になると思います。

この本は国語を苦手としている高校生が読むには相当キツイと思います。

最初の数ページを読んだだけで頭が混乱して本を閉じたくなるかもしれません。

しかし、そこを何とか1章だけは読んでみてください。

1章を読み終わるのに何時間かけても大丈夫です。

一つ一つ何を伝えようとしているのかを理解し読み進めてください。

そうすれば、自分がやらなければならないことが見えてくるはずです。

先生が出した一般書の中で個人的に一番勧めたいのは【マンガ森の彷徨(さまよ)いかた 批評理論で名作を楽しむ】です。

日本の漫画の中には思考の道具になるもの、読み方によっては立派な教養になるものが多くあると私は思っているのですが、この本を読めば誰しも「マンガを読むのはありかも」と思うようになるはずです。

 

 

 

市販されている国語の参考書には、問題の解き方が丁寧に解説されているものがたくさんあります。

しかし、それらの参考書を読んで短期間で成績が伸びるのは、すでに国語の基礎ができていたり、読解力があるなど、伸びるための「下地」を持っていることが多いです。

残念ながら、本当に国語が苦手な方がそういった参考書を読んでも、「書かれていることはなんとなく理解できるけれど、実際に問題を解けるようにはならない」と感じてしまうことは少なくありません。

小池先生が書かれている本も、それを読んだからといって急に現代文が解けるようになるというものではないのですが

文章が本当に読めている人は頭の中でどのように文章を読んでいるか

その過程を具体的に言葉で示してあるものが多くあり

「国語ができる人ってこういうことを知っていたりやっているからできるんだよ」

と現代文への向き合い方をはっきりと示してくれるようになっています。