驚いたユーチューブ動画を載せましたが前置きが長くなってしまいました。前置きは読まなくてもいいので、スクロールしてください。

この記事は、今気になってざっと書き殴ったものなので数日で削除します(気が向いたときに修正して更新します)。

 

 

勉強が得意不得意というのは人によって大きく異なりますが、どのように苦手なのかは経験的になんとなく分かっていくものです。

 

実際には

苦手な部分があるということに気づけず「やれば絶対にできるようになる」と思ってずっと努力をし続ける人もいるでしょうし

経験的に苦手な部分があることは分かっていても、「苦手なのは努力不足だからやれば出来るようになる」と思い努力をし続ける人もいるかもしれません。

努力してもできない部分があるということを頭では分かっていても「もしかしたら」と思い努力を続ける人は、検査を受けて認知に偏りがあることを数値として見て初めて納得するかもしれません。

検査の数値も完全に信用できるものではありませんが、それでも得意不得意な部分は確実に見えてきます。

 

日本では認知検査を受けることが一般的ではないので、経験的に自分の得意不得意を把握していくしかない思いますが

「できること」と「できないこと」がある

という事実を認められない人は、努力をすれば絶対にどうにかなるといつまでも辛い思いをすることになるかもしれません。

大人は自分がどうやって生きるかを選択できるので、辛い思いを避けられるかもしれませんが

「学校の勉強ができるかどうかがすべて」と暗に思わされている子供がいるとすれば「できない部分をできる部分で補う」ということが大人よりも難しいかもしれません(このように書くと「勉強をしなくてもいいのか!!」と怒る人が出てくるのですが、「勉強をしなくてもいい」などとは一切書いておらず、むしろ、自分が何ができて何ができないかを知るためにも、中学を卒業するまでは学校の勉強をすることに大きな価値があると思っています。「勉強だけ」ではなくマンガを読んだり、映画・アニメを観たり、旅行・スポーツ、自分に興味関心のあるものはいろいろやったほうがいいと思います。ただし、プロゲーマーになるならいざ知らず、ゲームに何時間も時間を使うのは時間がもったいないとは思います)。

 

認知的にアンバランスなことが分かれば、不得意な部分を得意な部分で補おうと考えられるようになるので

検査を受ける受けないとかは別にして

「人間には努力をしてもどうにもならない部分努力をすればできるようになる部分がある」ということを事実として受け入れることは大切だと思います。

うちの塾では生徒たちの授業の様子から、口頭による説明を理解するのが難しい、暗記が苦手、覚えたことをその後の問題に活用するのが苦手、といったことが見られたら、通常の授業とは別に「こうやって覚えてみたら」といった指示を個別にしたり、基本が抜けていることが原因で理解が進んでないようなら個別授業でそれまで遅れを一気に取り戻す、といったことをしていますが、一人として同じ子がいないということを私自身が理解し、学習内容習得にできる限りのフォローをする必要があると考えているからです。

 

ちなみに

参考書のところに並んでいる「勉強法」の本には「努力してもできるようにならない場合もある」という事実を書いているものはありませんが(本を売るために「やればできる」できないのは「やり方」が間違っている、「集中力」を付けることが大切などと、努力をすれば誰もができるようになるという前提で書かれてます)

認知に関する本を読めば「努力ではどうにもならない部分を人間だれしも持っている。得意不得意がある」ということがはっきりと書かれています。

本に書かれてある内容が真実かどうかは分かりませんし、真実だとしても例外はあるとは思いますが、大人であればだれでも、その差はあるにしても経験的に「努力をしてもできないこともある」と分かっていると思います。子供の場合は発達の途中ということもあるので単純に大人と同じとは言えませんが、能力的に苦手な部分があるのは、子どもでも同じです。

誰もが大谷になりたいと思ってもなれるわけではありません。

なりたいと思っも甲子園で投げることが限界だったり、甲子園どころか地元のクラブチームで投げるのも難しいことだってあるはずです。

これは、誰もが認めることだと思いますが、こと、勉強のことになると「誰でもやれば出来る」と「そんなことは思っていない」と主張する人でも思っていることが多いような気がします。

 

で、ここからが本代なのですが、今回何に驚いたのかというと

「耳のよさ」が言語習得に大きな影響があるということです。

言語習得に個人差があり、「留学経験をしていないのに何か国語も流ちょうに操れる」という人がいる一方、母語を習得した後に外国語を学ぶのが難しい人がいるというのは経験的にいるということは私も感じていましたが

その原因が「耳のよさ」関係している視点は全くありませんでした(それがヒントになる本はいくらでもあるのに今まで気づかなかったのは、人間(私のことだが)は思い込みが激しいとそこにあるものが見えないということなんだという教訓でもある)。

 

勘違いしてはダメなことはあくまでも「耳のよさ」は一つの原因であり、できない原因がその1つだけにあるというわけではないということです(動画でもそのことに触れています)。

 

「音」とはズレてしまいますが単語は覚えられるのに文法システムを学ぼうとしても、「型」は丸暗記できても、それを使いこなすことができないのでいつまでたってもできるようにならない場合もあります。

この場合は、学校の授業を受けようが個別に教えてもらおうが、今現在日本で一般的に行われている勉強のやり方ではいつまでたってもできるようにはならないと思います。

仮にそういう人が「耳」が良ければ、習うより慣れろで、暗唱をすることでできるようになるかもしれません。