映像授業を利用して講師1人で多くの子をみる個別指導塾が増えてきました。

確かに、与えられたものを学ぶだけなら映像授業で済みます。

しかし、自分の力で学び続ける力を身に付けたいなら学び方を学ぶしかありません。

そしてそれは国語の勉強を通じて養うこと一番です。

小学生のうちに国語を利用して読解力・語彙力・思考力を鍛えることで

将来、能力がないからあれができないこれもできないなることを避けられます。

能力が高ければ高いほど社会に出たときに選択肢が増えます。

そんな大切な科目が国語なんですが

中学になってからは英語・数学に多くの時間が必要となり

国語の勉強に掛けられる時間がなかなか作れません。

だから、小学生である今が国語の勉強をする最大のチャンスなんです。

なんとなく国語の勉強をして時間を無駄にするのではなく、身になる国語をしましょう。

読む力(説明文)

文章を読むために何が必要か?

第一に「語彙の量」です。

難しい文章を自分一人で読み込めるようになるには、小学生のうちにできるだけ多くの語彙を自分のものにしておくことが大切になります。

子どもたちに普段から言葉を覚えることに関心を持たせることができれば文章を読む基礎を築けます。

第二に「読み方のルールを覚える」です。

語彙を覚えても設問の意味を捉え、どのように解答を導き出すかを知らなければ闇雲に答えを出さざるを得ません。

そうならないように、指示語・接続語・抽象と具体・因果関係など、文を読むうえで知っておくべき規則を覚えます。

小学生のときから「文章を読み解く訓練」と「言葉を調べて語彙を増やす訓練」で文章を読むための基礎を築くことで、中学以降の勉強をスムースにできるようになっておきましょう。

 

説明文を解いた後、題材によってはブレインストーミング・KJ法などを使い、みんなで話し合いをします。

アイデアを出しそれをまとめる作業を小学生のうちに実践することで、考える力やコミュニケーション力を高めます。

学校の勉強ができるようになるだけではなく、自分で物事を考える力、抽象的に考える力(1を聞いて10を知る力)を涵養していきます。  

書く力

与えられた文章を理解したうえで、自分の考えを書くことができるようになってもらいます。

自分の考えを書くことは簡単にできることではないので、段階を追います。

6年の1学期は短文を暗記してもらった後それを作文用紙に書き写す暗記作文

6年生2学期以降はテキストの文章を自分の言葉で「要約」「作文」をします。

単に問題を解いて終わるだけでは国語の力を身に付けることは難しいですが

要約と作文の訓練をすることで自分の力が少しずつ確実に伸びていくことが実感できます。

作文は、「昨日遠足がありました。楽しかったです」といったものではなく、課題文を読み自分の考えを書く形式にします。

漢字を大切に

表意文字の漢字、例えば「屹立」など普段使わない漢字でも「屹」は「山」が使われていることから山がイメージされます。

そこから「山がそびえたつ」という「屹」の意味が頭に入りやすくなるはずです。

さらに「山がそびえたつ」ということから、ずっしりと重く動かないことがイメージされ「確立して揺るがない」という意味があることも簡単に覚えられるはずです。

「屹」のようにあまり使われない漢字を例に出しましたが、普段使う言葉でも同じです。

例えば「佳」を見ていきましょう。

「佳」には「美しい」「立派だ」「称賛する」という語義があります。

これを覚えておけば「佳作」が「すぐれた作品」という意味であることは瞬時に頭にはいるでしょうし

「佳器」「佳客」「佳話」など、見たことのないような言葉でも、「いい器(立派な器)」「いい客」「いい話(世に広くもてはやされる美談)」という意味であることが、コンテクストと合わせればすぐに推測できるはずです。

漢字一つ一つの意味を覚えていくことは本当に大切なんです。

それに、このように漢字を覚えていくことが単純に面白く感じられるようになれば、子供たちは自然と勉強をしていくようになるはずですよね(焦らずゆっくりとが大切です)。

読書

瀬尾まいこさんの「あと少し、もう少し」の一番初めに

おれがアンカーを走ることに決まったのは、今日の朝だ。

という文があります。

これを、書かれてある文字通りの意味を取れば、

「おれ」という一人称を使っている子が「アンカーを走ることに決まったのが今日の朝なんだ」

と、そこに書かれてある内容以外意味の取りようがありません。

しかし、この一文を読んだ多くの人は、それ以外に、「おれ」という一人称から「小学生か中学生、もしくは高校生」の男の子をイメージしたはずです。

少なくとも、女の子や50を超えたおじさんをイメージした人はいないはずです。

また「アンカーを走る」ということから、「足が速く、おそらくスポーツ万能で、目立つタイプの子」をイメージしたとも思います。

このように、書かれてある内容以外のことを意識せずともイメージして読むことができる(読んでしまう)のが小説です。

面白いのは、上にあげたイメージを誰もがするとは限らないということです。

上のイメージはあくまで私が「多くの人がこう思うだろうと」思い込んでいるだけで、実際は全く別のイメージをしながら読む人がいるはずです。

もしかしたら「走るのが苦手なのにからかい半分で誰かから無理やりアンカーにさせられた子。かわいそう」とイメージする人がいるかもかもしれませんし

「おれ」という一人称を使う女の子に出会ったばかりの人が読めば、「おれ」と書いてあってもそれを女の子だとイメージする可能性だってあります。

自分のお父さんが同じようなことを過去言っていたのを耳にした子であれば、50を過ぎたおじさんが子供の運動会に参加したらいきなりリレーのアンカーをお願いされたとイメージすることもなくはないでしょう。

このように、テクストの解釈の仕方は人によって異なります。

このような解釈は、唯一の正解を導き出すために「心情表現・人物描写・情景描写」を押さえながら読んでいく小説問題を解くときには起こりません。

しかも、小説というのはそこで伝えたい何らかのテーマがあったとしてもそれが直接説明されていないのだから、本来は自由な解釈ができるにもかかわらずです。

小説問題は唯一用意された正解を見つける作業をしなければならず、自分の解釈を挟むことができないのです。

このような読み方しかできなければ、本を読む楽しさを味わえません。

そこで、レイズでは塾とは別に不定期に「読書会(別サイトに移動)」を実施し、小説問題を解くために本を読むのではなく、自分がした解釈をみんなで話し合う機会を設けることにしました。

子どもたちがこれをきっかけに本を読む時間が増えれば、文章を読むことに慣れていきますし、語彙力も自然と増やすことができるはずです。