少子化や私立高校授業料の実質無償化に伴い、公立高校でさえ「選り好みしなければどこかには合格できる」という状況になっています。
入試のハードルが下がったことで、「勉強なんてしなくてもいいや」と安易に学びから距離を置く生徒が増える一因となっており、極めて重大な問題だと考えています。
小・中学校の基礎的な学びをおろそかにすることは、その後の人生の選択肢を狭めることにつながりかねません。
なぜなら、小・中学校の学びが持つ本当の価値は、単なる進学実績や知識の暗記にあるのではなく、その後の人生を自力で歩み続けるための「普遍的な思考力と探究心の土台」を築くことにあるからです。
目次
「学び続ける力」を育む
私が子どもたちに伝えたいのは、学校での学びは未来を切り拓くための強力な土台であり、あくまで「始まり」に過ぎないということです。
そして、塾の指導を通じて養っているのは、知識を体系的にインプットし、目標に向けて努力し続ける「学習の基礎体力」です。
言うまでもなく、これは社会で活躍するための必須条件です。
特に、技術革新が急速に進む現代において、「学校を卒業したら学びは終わり」という考え方は通用しません。
社会で活躍するためには、新しい知識が必要になった際、誰かに頼らずとも自力で情報を集め、理解し、自分のものにする能力が不可欠です。
中学レベルの数学、国語、社会といった内容は、まさにこの「自力で学び、考える力」を身につけるための最高の訓練です。
この時期に基礎を固めておけば、大人になっても時代の変化に合わせて知識をアップデートできます。
つまり、小・中学校の学びは単なる進学の手段ではなく、社会に出た後も通用する「学び続ける自分」を作るためにあるのです。
受験の枠を超えたこの力は、論理的な思考力や、問いを立てる探究心に支えられています。
知識をただ教わる「受け身の姿勢」から、自ら考え答えを導き出す「主体的な学び手」へ。
この成長こそが、子どもたちにとって一生の財産となるはずです。
「学びからの離脱」がもたらすリスク
しかし、今の教育環境下では、多くの子どもが「勉強は進学の手段」と捉えています。
近年、入試のプレッシャーが相対的に低下したことで、進学という目的が薄れた途端、容易に学習を放棄してしまう傾向が見られます。
一度、学びから遠ざかってしまうと、知識が不足するのみならず、「自力で学び続ける術」を知らないまま大人になってしまうという、さらに深刻な事態を招きます。
知識もなく、学び方も知らずに大人になってしまうと、ただ流れてくる情報を受け身で消費するだけの人生を送ることになりかねません。
もちろん、本人がそれで満たされているなら他者が口を出す筋合いはありません。
しかし、変化の激しい現代において、自分で知識やスキルを更新できないことは、将来的に本人にとって計り知れない不利益を招く大きなリスクとなるはずです。
最終的に困るのは、他でもない「未来の自分自身」なのです。
また、親の指示や外部からの圧力によって勉強している子どもは、その目的が「進学」という一時的なゴールに固定されがちです。
その結果、受験が終わった後、「本当は何を学ぶべきか?」という問いを見失い、自分が何を目標にして何をすればいいのかが分からなくなってしまうかもしれません。
なぜなら、真の学びとは、誰かに言われて始めるものではなく、本人の内側から湧き上がる「興味」や「切実な必要性」からしか始まらないものだからです。
「超底辺」からの挑戦が教えてくれたこと
私自身の経験が、この「自発的な学び」の重要性を証明しています。
実は私自身、小中学校時代は全く勉強せず、成績は常に底辺でした。
中3夏のフクトでは偏差値38、高校入学時ですら英検5級に合格できないという、文字通りの「超底辺」からのスタートでした。
しかし高校進学後、親や教師に言われるのではなく、自身の意思で一念発起し、勉強を始めました。
この経験で得たのは、単なる学力向上以上の、「目標を自ら設定し、計画を立て、達成するまで継続できる」という主体的な学習サイクルでした。
その結果、最難関大学とまでは言えませんが、現役で明治大学に合格することができました。
私にとって、小中学校の時から勉強ができていた人が東大に合格する以上に、この「底辺から這い上がって合格した」という事実は、圧倒的な達成感と自信をもたらしてくれたと思っています。
そして何より、この学びのプロセスこそが、その後の人生で直面した問題や、新たな知識が必要になった際の自力で解決する力の土台となりました。
その後、26歳で自分の塾を開き、塾とは別に「これをやったら面白い」という探究心を原動力に、3回ほど起業を試みました。
結果こそいずれも成功には至りませんでしたが、計画段階では事業の成功可能性を論理的に検証し、必要な情報収集と分析を尽くしました。
この一連の行動は、まさに「自力で学び、考える力」の応用でした。
高校時代にそれまでの生活態度を改め、受験勉強を通じて思考の土台を築いていなければ、こうした挑戦をすることすらできなかったでしょう。
現在は、私の体験をもとに、子どもたちに真の「学びの価値」を伝えることに全力を注いでいます。
学びは誰にも奪われない自由
学ぶことは、義務や試練ではありません。
それは、未来の自分の可能性を広げ、精神的・物質的な豊かさをもたらすための最も確かな手段です。
基礎的な知識や技能を段階的に習得していくプロセスは、「自分で考え、問題を解決できる」、「自力で目標を達成できる」という、確かな自己肯定感と達成感を与えてくれます。
この「わかる」「できる」という実感が、学びの本質的な楽しさにつながります。
この楽しさを知ることは、生涯を通じて自己を成長させる内なる向上心を手に入れることと同じです。
そして、その原動力によって深まった知識や身につけた能力は、人生をより充実させ、予期せぬ困難を乗り越える力となり、自分の人生を豊かにしてくれるはずです。
